すましかむあえええみまかえかやあしあつじのこししてひがしにほんだいしんさいながねんごみやとじまひとりひとりはなおおしんおくひとひとおもじしんわたししんさいふうけいねんごまいぶんいたつくおもしんさいがつにちつなみなみちがらそぼかんけいつなみきづおもねんごひとかんけいひと人と人との関係ぎけんみやみやとじまみらいにんひとりひとりぜんこうじどうみやとじまかつどうがくせいわたししょうぜんこうみやとき もしょうたいせつきゅうひとうしなかぞくたすひとじぶんじしんがつにちふくしまけんしりつひさのはまだいいちおおいえいえがようしふうけいとじまみやき もひとどうぐおおうしなひとひとかんけいつなみしょうがっこうねんがつこうまつしましりつとしょうみやひがしじとういちどうつくかつどうえんぶったすひとじま島宮城県東松島市立宮戸小学校 児童一同福島県いわき市立久之浜第一小学校 6年 菜花 友紀88 東日本大震災で、私たちの住む東松島市の宮戸島は、多くの家々や浜が津波で流されました。この震災に負けず、未来に向かってがんばるために、「10年後の宮戸島の風景」を、全校児童29人、一人一人が画用紙に描きました。 一人一人が描いた10年後の宮戸島の絵を、似た風景ごとにグループを作って話し合い、ベニヤ板4枚分の壁画にしたのがこの絵です。 大きな壁画を作っていく活動は、私たち小学生にできる宮戸島復興の活動そのものだと思っています。全校で絵を描いて、気持ちが一つになりました。この絵は、震災に負けない宮戸小の気持ちなので、たくさんの人に見てもらいたいです。 ぼくは、3月11日の津波で、ぼくの大切な野球の道具などを多く失いました。 地震や津波は危険なものです。家族を失った人たちもいます。 でも、みんなで力を合わせて、人を助けることで、人と人との関係ができていくことがわかりました。祖母の知り合いは、自分も被災しているのに、支援物資を送ってきてくれました。 人と人との関係があってこそ、3月11日の地震や津波を乗り越えてこられたのだと思います。 地震や津波で、よくないことがあったけれど、そのおかげでぼくは、助けられてばかりだったことに気付きました。だから、これからは、困っている人に手をさしのべていこうと思いました。10年後の宮戸
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