防災ノート_311を忘れない_小学校
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ひひけてわまきさしいきしねおろひたひひひとつみおひひごだでつくつうがく和歌山県有田郡広川町広村堤防(写真提供:広川町)ハイパーレスキュー隊のワッペンたすじっかんながやくたかねんつなみひろむらおそむらだいぶぶんまもにほんゆうきあんせいじしんれんたい かんうえいえじぶんだいじいえみめじるしじぶんひろねんげんざいわかやまけんじしんつなみいねちょうかさわ か やまけんぐんひろむらていぼうひろがわちょうしゃしんていきょうひろがわちょうしょうじゅしょう安政元年(1854)、安政南海地震が、広村(現在の和歌山県広川町)を襲いました。  うみ濱口梧陵の家は、丘の上に立っていました。地震が起こったあと、梧陵は、海 みずむらの水がぐんぐん引いていくのを見て、津波が来るに違いないと確信しました。そこで、村びと人を助けるために、自分の家の大事な「稲むら(刈り取った稲を積み重ねたもの)」に火をつけてまわりました。 暗闇の中の真っ赤な火。この火を目印に、村人は、安全に避難することができたのです。 津波のこわさを実感した梧陵は、自分のお金を投じ、高さ5m、長さ約600mの広村堤防を築きました。安政南海地震から92年後、昭和21(1946)年、南海地震が発生し、高さ4mから5mの津波が広村を襲いましたが、広村堤防が村の大部分を守ったのでした。にちへいせいぎょせんようあといのちきしめいちばんこんかいにほんしゃかいふかしょうげんばだいひょうじゅしゃしょうごうひ さい ちじかんちがぼうしょうつかひっしひとりたい いんいろせいふくぜんたいせきせつ積雪の現場で全体ミーティングかな悲しみの現場で 翌12日には、被災地に入り活動を開始しました。日本でも有数の漁港である気仙沼は、漁船用の燃料タンク23基のうち21基までが海に流されていました。また町は津波が運んだがれきで埋め尽くされ、油の臭いが充満し、至る所に火の手が上がっていました。 火が消えた後の気仙沼は全てが破壊され、流された津波のあとを捜索するのは、初めてのことです。がれきの下に、どんな危険なものが埋もれているのか、想像もつきません。どこに誰がいるのか、どこに何があるのか、分からない中での救助活動です。 今回、一番つらかったことは、亡き人への礼をつくせなかったこと。花や線香を手向けることもできず、手ぬぐいを顔にかけるだけで、「後で迎えに来ます。待っていてください」と、現場を去らねばならなかったことです。やよしたい いんああた すた すせかい矢吉隊員げんばしょうぼうなかいあんぜんむらびとなみかねとうむらしょわたかひろむらさいちはいかつどうかいしにちがつねんあぶらせんぬますべげんばつじこしたなにしきゆうきつよかおたいぷんおおおぼべんいっきょうしょうなかまだい がくじだいたい いんあんせいじしんたすじしんはっせいゆうきぼうなかまめいせいきかんきかん濱口梧陵(1820~1885)うみながしりょくはつでんしょふくしまだいいちげんきながにんひとれいあととみおかしょうたいぼうにほんぜんこくみんじゅしゃしょうきざいたいへんつよぼうしょしょうにんぼくひとりしょうぼくきじゅうとくしゅさぎょう特殊重機による、がれきの撤去作業はまぐちごりょうにほんゆうすうぎょこうげんばこうたいひしょうあしょうてところじゅにんげんつなみせきじょかつどうしゅっきゅうなかはなひんたいはこまちはたらみずかはじこうたいゆうじゅしょうたいいんひび日々厳しい訓練に励む隊員くんれんたい515381『稲むらの火』社社総道総特特 平成23(2011)年10月21日、福島第一原子力発電所の事故現場で献身的な働きをした「フクシマの英雄」たちが、スペインのアストゥリアス皇太子賞を受賞しました。「自らの命を犠牲にしてでも津波による原発事故の惨禍を避けようと闘い、人間としての卓越した価値を示した勇敢で模範的な行為」として、警察、消防、自衛隊員らに贈られたのです。 スペインでの授賞式には、警察、消防、自衛隊の5人の現場指揮官が出席。フェリペ皇太子は、「『フクシマの英雄たち』の勇気と強さは、逆境における品位・謙虚さ・寛容・勇気、そして日本社会に深く根ざす価値観に基づいたもの」と称えられました。 受賞者を代表してハイパーレスキュー隊の富岡消防司令は、「『フクシマの英雄たち』という称号を授かったのは、ここにいる受賞者のみならず日本全国民に対してのものです。受賞を被災地復興の励みにしていきたい」と述べました。消防はチーム ハイパーレスキュー隊の勤務は仮眠や引き継ぎも含めて、24時間と10分。そして交替します。扱う機材も消防署と違うものも多いので、覚えるだけでも大変で、使いこなすために一生懸命勉強し、先輩に追いつこうと必死です。それだけに、仲間の連帯感は強く、連携プレーもスムーズになるのです。 隊員の一人、矢吉さんは大学時代、通学路に消防署があり、オレンジ色の制服を見てかっこいいなと憧れ、ハイパーレスキュー隊員を志願しました。 矢吉さんは言います。「僕たちは20人の編成です。どんなときでも、僕の命綱を確保してくれている先輩や後輩がいます。みんなに助けられているからこそ、一人では出せない勇気が出てくるんです。消防は、『チーム』。僕には、頼りにな防災トピック世界が認めた日本の勇気 ―スペイン「アストゥリアス皇太子賞」受賞―助け合う(2) 行政機関による「公助」道助け合う(1) 行政機関による「公助」

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