いきとい念記興堂霊館ばごちひ護しだどひでおしつじじだじうあおし2424東京都慰霊堂いわてしんおおじぶんごほっかいどうやくまんせんにんとうきろくじしんめいじさんりくがつにちつなみおそけんみぎしゃしんししゃいまつたつなみめいじとうほうつなみじしんはつせいきょだいなみさんりくかいがんこうせいつたまいめい じさんりくしんつなみうらめんしゃしんじょうりくながときいったいおとなしょうかかつどうたい かけっかまちとうきょうといれいどうりくかまいしこうないふねしるちょうあんまるさきおこなまも鹿半島に至る三陸海岸を襲い、しょざい ちすみ だ く よこあみたいしょうはっせいげんざいちゅうはっせいねんがつついたちはっせいよこあみちょうこうえんやくまんせん にんかたしょざい ちかんとうせ んじ んかんとうひとびととう じち よ だ くときまちひとりょくしゃつ た明治三陸地震津波で陸に打ち上げられた帆走船「長安丸」写真の裏面には、釜石港内に停泊していた船が300~600m先の陸上に押し流されたことが記されている。[石黒敬章氏所蔵]お しりつ いずみち よ だ くねん年)6981(92治明、は波津震地陸三治明 6月15日、岩手県釜石市の東方200kmを震源として起こったマグニチュード8.2の大地震による津波です。地震の発生から抜38.2mという巨大津波が30分後に、海北海道から牡約2万2千人の死者を出しました。右の写真は当時の被害状況を今に伝える貴重な1枚だいですが、津波の恐ろしさを後世に伝える大事な記録といえるでしょう。こうえんないとうきょうしぜんとうきょうりつよこあみじぶんちょうこうえんとうときょうかえくんいまつたぼうさいきょうおしふっこうれいどうぼうかしゅめい じ さんりくつたしらねんかんきろくかずおおのこ大地震にかかわるもの網町公園の東京都慰● 東京都立横 所在地:墨田区横網2-3-25 大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災では、大火災が発生し、逃げ場をなくした大勢の人々は、当時造成中であった現在の横網町公園に避難しました。その時、かさい火災旋風が発生し約3万8千人の方が犠牲となりました。●「防火守 所在地:千代田区神田和泉町1)内園公区田代千( 関東大震災の時、神田佐久間町一帯にも火の手が迫りまふつかかんした。そこで町の人は大人も子供も一丸となって、二日間にわたりバケツリレーをするなどの消火活動を行ったのでひとす。こうした人々の努力の結果、町は大火から守られ、一り人の死者も出しませんでした。・復の地」の碑 54しししし立和泉 東京には、自然災さいがいています。みなさんも自分の地 ち いき防災トピック被害をくり返さないために…明治三陸地震津波の記録害の恐おそろしさや防災の教訓を今に伝える史し跡せきや言い伝えが数多く残っ域にあるこうした教えを調べてみましょう。先人が伝える防災の教え知って知って知って知って
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