ちひよかちひとくのあかししひいご市りいかひひくうか1921いわてけんちゅうやくばおくりょうひんひょうけんこうべしながへいせいねんがつぼうさいで しことばのこせいとうことばゆうめいてら だ はかせゆきごはかせしるちょうちくものみんひさいしゃわたしゅくうえねんがつへいせいなんじょしょくりょうねんがつへいせいぶつ りがくしゃなかことばかんとうあとぼうさいほかていきょういわてけんちゅうそらくきゅうじょごひょう飲み物を被災者に渡す子供ボランディア(兵庫県神戸市)〔平成7(1995)年1月24日〕 避難所で食料などを配る子供ボランティア(兵庫県神戸市兵庫区) 〔平成7(1995)年1月25日〕こどもひょうかんこうせんごけんこうべけい しひょうこうくうたいちょうごけんこうべしくばこどもにちこうだんしゃていきょう 阪神・淡路大震災の被災地には、日本全国、そして世界各地から多くのボランティアが駆けにつけました。そこで平成7(1995)年は、日ほん本での「ボランティア元年」と呼ばれるようにぼうなりました。また国は、毎年1月17日を「防さいにち災とボランティアの日」、1月15日から21日みやぎけんせんだいわん宮城県仙台湾に到達した津波(提供:海上保安庁)さだを「防災とボランティア週間」とすることを定めました。 当時、あらゆる世代のボランティアが活躍しましたが被災地の小学生たちは、自分にできることは何かと考え、身近なことからすすんでボランティアに取り組みました。倒壊した岩手県大槌町役場(提供:岩手県大槌町)岩手県大槌町赤浜地区の民宿の上に乗り上げた隣町の釜石市の観光船「はまゆり」(提供:岩手県大槌町)警視庁航空隊による空からの救助(講談社より提供)はんしんあわじだいしんさいせかいかくちくにぼうさいせだいとうじしょうさいかんがなにあわじはんしんきょうつたし ぜんじょうきょういまおそけんひょう ごとうほくちほうたいへいようおきじしんなんぶきょうしゅうつなみじょうちょうていかいいわてけんていきょうてけんちゅういわがくせいじょ しせいにちこうべこうしんさいじしんがんねんにほん ぜんこくひさいおおねんへいせいがんねんにちがつまいねんがつにちあんほかんかつやくがくせいじぶんみ ぢかこうべこうひょう ごやくこうせいつたじぶんひがいしすすじょうまわけんこうべしちゅうさいのこひと警視庁警備犬による懸命の捜索送られてきた衣料品などを整理する女子学生( 〔平成7(1995)年1月30日〕 長田たく区) 兵庫県神戸防災トピック防災トピック 防災の心構えとして、有名な言葉です。物理学者の寺田寅彦の言葉と言わ 阪神・淡路大震災では、神戸港は壊滅的な被害れていますが、寺田博士の著作の中で確認することはできません。実際は、てら だ はかせを受けました。その後、復旧・復興が進み、周りの状寺田博士の弟子で「雪博士」として知られる中谷宇吉郎が、関東大震災の後、てら だ はかせかくげんおう況はすっかり変わりましたが、兵庫県神戸市中央恩師の言葉として書き記したものです。寺田博士は、この他にも防災の格言区にあるメリケン波止場には、被災したあの日のをいくつも残しています。状況を今に伝える岸壁が約60mにわたって残されています。 ボランティア元年~自分にできることから~「天災は忘れた頃にやってくる」神戸港震災メモリアルパーク49震災の恐ろしさを後世に伝える貴重な史跡の一つです。●「自然は過去の習慣に忠実である」●「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしい が、正当にこわがることはなかなかむつかしい」社総社総〈兵庫県南部地震〉〈東北地方太平洋沖地震〉
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