防災ノート_311を忘れない_小学校
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やげんざいと復興記念館所蔵資料]1517かんとうおおがつこうぎょういっかんとしけいかくぼうさいけんちくたようきょくせんめんがいかんきょうおおひとびとりょうきょうくんこうえんひびさいいちかんとうだいしんさいしょうがつこうこうえんこうえんかくちしみんたいせつばしょとおみらいとおゆうきがつついたちぼうさいとうとうきょうしないしょうかんてんもとこうしゃぜんたいさいようかくこうぼうさいゆうきつよとしじごじたくひひいじとばはばだく)ごいきにきわくがへひにひとうどおがっこうてっきんきょくこせいてきしょわしょきしょはっせいたいとうくりつやすくにどおちよていきょうすみだこうえんすみだくねんかいえんしょぞうじじょどうろきごかたゆうきまちじゅうむすどおせいびとうきょうど ぼくがっかい ふ ぞく ど ぼく と しょかんたいとうしょわどおたいしょうどうろ(り通靖国の期初和昭千代田区[提供:土木学会附属土木図書館]にほんばしおうくかじとうちゅうちゅうおうくりつしょうがっこうとうじわすかんとうだいしんさいこうえんしるさんかいたいしょうねんにかんしょぞうたいとうくりつしたまちふうぞくしかりふうけいひといきおやこごしょきゅうきかんかんとうじしんししゃしょぞうしりょうおそえがこうけいとうじおもうしなようすえがしょぞうしゃまん にんほしのたつこめいじしんとうじじんこうじょうしゅっかきょうきょうついたちしんしたまちいったいいえおおこうえんせかいもっとしょうことばなかやくわりちかひびだいとうけんせつきょうひさんじきおおまん にんとうふうげんざいたいとうくげんざいつつみじかぶんがくきごひとひろせかいあきかんとうだいしんさいきごだいさい 過去は日々に遠くなる、未来は日々に近くなる、一日を経れば一日だけ大災防災トピックがい害を被ったのは遠くなるのである、壮美な大東京建設の日には近づくのである。ゆう 此の際は一にも勇気である、二にも勇気である、三にも四にも何にも彼にも勇い 関東大震災の教訓を忘れない、そしてこの時期に多い台風への心構えの意き気である。(幸田露伴「震災者に贈る言葉」)み味も含めて、9月1日が「防災の日」に制定されました。 ちかよんたいふうしょわねんことばしゃおくしきょうかんとうちほうすみだとうしょうしつきせつあらわこうえん 世界で最も短い文学、俳句には、季節を表す言葉「季語」があります。季語は、一つの俳句の中に一つ入れることが望ましいとされ、俳句の世界に広がりをもたせるものです。「震災忌」は、秋の季語。関東大震災が9月昭和6(1931)年開園の隅田公園 (墨田区・台東区)ついたち1日に発生したことにちなみます。[台東区立下町風俗資料館所蔵]つたひとのぞがつねん中央区立泰明小学校震災回顧の手拭い:震災当時の光景が描かれ、「この恐ろしき関東の大震災を忘れずにいつも緊張致しませう」▶復興公園と記されている。「三回忌の当時ラジオが発展」とあるしんさいことから大正14(1925)年以降のものと思われる。 多くの人々が逃げ場を失い犠牲となった震災[台東区立下町風俗資料館所蔵]の教訓から、隅田公園、浜町公園、錦糸公園のさんだい三大公園をはじめ、各地にたくさんの小公園がつく作られました。普段は市民の憩いの場として、さいがいじ災害時には避難場所としての大切な役割を果たしています。[弥生美術館所蔵]いちねんかんとう関東大震災から一年「(仮)救護所風景」 岡本帰一/画復興めざし救護所でほっと一息つく親子の様子が描かれている。45星野立子※星野立子 明治36(1903)年ー昭和59(1984)年      俳人 高浜虚子の次女死者・行方不明者は、10万人を超えました防災に強い都市づくり社国総総社防災トピック聞き伝へ 語りつたえて 震災忌いちゆうき「一に勇気、二に勇気・・・」 地震後、当時人口250万人の東京市では、130▶復興道路▶復興小学校しょいしょうか所以上から出火しました。その日は、関東地方は 東京の町を十字に結ぶ昭和通りと大正 関東大震災では、当時の東京市内の小たいふうひさいじ台風の影響で強風が吹きあれていたため、火はまた通り(現在の靖国通り)をはじめとして、学校の多くが倒壊・焼失しました。被災事まひろかんせんどうろたく間に広がりました。幹線道路が整備されました。復興道路は、業の一環として建てられた復興小学校は、ちゅうしんがつ 9月1日深夜には、現在の台東区や墨田区を中心現在の東京の動脈ともなっています。防災や都市計画の観点に基づき、鉄筋コじとする下町一帯は激しい炎に包まれました。当時はンクリート建築を採用し、校舎全体に曲木造の家が多かったため、そのほとんどが焼失しま線や曲面が多用され、各校ごとに個性的した。なデザインの外観が取り入れられました。都京東[)区中央(火事の橋本日防災トピック防災の日季語「震災忌」〈関東地震〉行政機関による「公助」

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