第一章災害について写真4 伊豆大島噴火写真5 三宅島噴火写真6 伊勢湾台風・高校生が被災者のために握り飯の炊き出し (毎日新聞社提供)く地震の被害は少なかったが、綾里湾で28.7mの津波を記録するなど、津波による被害が拡大し、死者行方不明者は3,064人に上った。チリ地震津波(昭和35年5月23日) M9.5。チリ全土に大きな被害を与えた巨大地震による津波が、地震発生から約22時間半後に三陸沿岸に到達し、大船渡市、南三陸町を中心に142人の死者行方不明が出た。この津波による被災を契機として、太平洋の津波警戒・減災システムが創設・整備された。●火山伊豆大島噴火(昭和61年11月)写真4 三原山は噴火を繰り返す活火山で、この時の噴火は11月から始まった。溶岩の流出が始まり、地震が頻発、山腹で割れ目噴火が起こった。溶岩流が元町に向かって流れ出たため、全島避難が決定し、13時間余りをかけて約1万人が島外に避難、約1か月後に帰島した。雲仙普賢岳噴火(平成2~7年) 平成2年11月に198年ぶりに噴火した雲仙普賢岳は翌年2月に再噴火した。5月に最初の土石流が発生し、6月に発生した大規模な火砕流で43名の死者行方不明者が出た。この時期に形成された溶岩ドームは平成新山と命名されている。三宅島噴火(平成12年)写真5 6月末から群発地震が始まり、海底噴火やM6.4の地震が続いた。雄山は7月の水蒸気爆発以後、山頂噴火を繰り返し、8月に大規模な噴火を起こした。火山ガスの大量放出が始まったため9月上旬までに全島避難を完了、避難生活は4年5か月続いた。桜島噴火 桜島は大正3年の噴火で大隅半島と陸続きになり、昭和10年の噴火で南岳東側の山頂に新しい火口が形成された。噴火活動は昭和60年をピークに減少したが、平成18年頃から再び活発化している。御嶽山噴火(平成26年) 9月27日、御嶽山で噴火が発生した。噴煙が流れ下り、山頂火口から4km程度の範囲では、噴火に伴う大きな噴石の飛散等に警戒が必要となった。気象庁は、同日、噴火警戒レベルを1(平常)から3(入山規制)に引上げた。63名の死者、行方不明者が出た。●台風カスリーン台風(昭和22年9月) 紀伊半島沖から東海・関東地方をかすめて三陸沖へ抜けた大型台風である。停滞していた前線を刺激し、1日半にわたって記録的な大雨を降らせた。被災地は関東地方から岩手県に及び、死者行方不明者は1,930人となった。伊勢湾台風(昭和34年9月)写真6 強い勢力を保って潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を襲った超大型台風である。死者行方不明者5,098人の多くは愛知県と三重県で発生した。室戸台風、枕崎台風とともに「昭和の3大台風」といわれ、災害対策基本法制定の契機となった。台風23号(平成16年10月) 高知県土佐清水市に上陸し、中部地方を横断して関東地方へ抜けた。秋雨前線を刺激し、西日本から東北地方の広い範囲で暴風、大雨、高波、河川の氾濫被害が続出した。この年の最大の台風で、兵庫県、京都府、香川県を中心に、98人の死者行方不明者が出た。台風26号(平成25年) 東京都大島町では台風第26号の豪雨に伴い、火山地域で発生した流木を伴う大規模な泥流により甚大な被害が発生した。大島雨量局では、最大時間雨量118.5mm/hを計測し、連続雨量824.0mmを計測した。死者行方不明者が43人となった。『安政見聞誌』とナマズ 日本人は地震というとナマズを連想する。ナマズが暴れて地震が起こるという俗説は江戸末期には広く知られていたらしい。安政2(1855)年の安政江戸地震を記録した『安政見聞誌』には、釣りに行った男がナマズが暴れてウナギに逃げられたという話がある。男は慌てて家に帰り、家財を持ち出した。妻には笑われたが、間もなく本当に大地震が起こり、家は潰れたものの家財は無事だったという。ナマズが本当に地震を予知できるかどうか、実験が行われたというが結論は出ていない。安政地震の後は、鹿島大明神が石で大ナマズを押さえつけている錦絵がよく売れたという。75
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