防災ノート_311を忘れない_高等学校
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元年昭和20(注) 平成7年の死者のうち、阪神・淡路大震災の死者については、いわゆる関連死919人を含む(兵庫県資料)。   平成28年の死者・行方不明者は内閣府取りまとめによる速報値   (平成23年に起きた災害中、「地震・津波」欄のうち、東日本大震災については、消防庁資料(「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震   災)の被害状況」(平成29年3月1日現在)により、死者には震災関連死を含む。)出典:昭和20年は主な災害による死者・行方不明者(理科年表による)。昭和21~27年は日本気象災害年報、昭和28~37年は警察庁資料、昭和38年以降は   消防庁資料を基に内閣府作成写真1 北海道南西沖地震 (毎日新聞社提供)写真2 明治三陸地震津波 (毎日新聞社提供)写真3 昭和三陸地震津波 (毎日新聞社提供)主な災害:三河地震(2,306人)枕崎台風(3,756人)主な災害:南海地震(1,443人)主な災害:カスリーン台風(1,930人)主な災害:福井地震(3,769人)主な災害:南紀豪雨(1,124人)主な災害:洞爺丸台風(1,761人)222426283032343638404244464850525456586062平成主な災害:伊勢湾台風(5,098人)主な災害:東日本大震災(22,010人)主な災害:阪神・淡路大震災(6,437人)1113151719212325273579長く続き、震度6弱以上が4度も発生して68人が犠牲になった。この年は7月の新潟・福島豪雨をはじめ台風が多く、山崩れや地滑りが多発して鉄道や道路、ライフラインが寸断され、上越新幹線で脱線事故が起きた。熊本地震(平成28年) 4月14日21時26分頃に、M6.5、最大震度7となる地震が発生した。また、2日後の4月16日1時25分頃には、近接した地点で、M7.3、最大震度7となる地震が発生した。4月14日から19日までの間に震度5弱以上の揺れを21回観測した。8,667棟の住家が全壊し、震災関連死も含め273人の死者が出た。●津波明治三陸地震津波(明治29年6月15日)写真2 M8.2〜8.5 。震源は釜石市東方沖。最大震度は3で、地震による被害はほとんどなかったが、地震発生から約30分後、綾里湾で当時の観測史上最高の38.2mの津波を記録し、21,959人が犠牲になった。北海道から宮城県までの広い範囲に3m以上の津波が到達した。昭和三陸地震津波(昭和8年3月3日)写真3 M8.1。震源は釜石市東方沖で最大震度5。明治三陸地震と同じ日本は地形・地質・気象条件等から自然災害が発生しやすく、これまでにも多くの自然災害が起きている。●地震関東地震(大正12年9月1日)/災害名(関東大震災) M7.9。震源は相模湾沖で、神奈川を中心に関東全域が被災し、揺れによる建物の倒壊のほか、地盤沈下、崖崩れや津波による被害が発生した。発生したのが昼食時だったため火災が多発し、犠牲者のほとんどは焼死だった。北海道南西沖地震(平成5年7月12日)写真1 M7.8。地震による津波で奥尻島を中心に、死者行方不明者は230人に上った。奥尻島は昭和58年の日本海中部地震でも津波被害を受けていたが、津波の到達が早く被害が拡大した。津波襲来後に発生した火災による死者はいなかったが、多くの建物が延焼した。兵庫県南部地震(平成7年1月17日)/災害名(阪神・淡路大震災) M7.3。震源は明石海峡で、被災地は兵庫県を中心に大阪府や京都府まで広がった。神戸市の市街地が大きな被害を受けた都市直下地震で、死者行方不明者は6,437人となった。老朽化した木造家屋の倒壊が多く、犠牲者は高齢者に多かった。新潟県中越地震(平成16年10月23日) M6.8。午後5時56分の本震以後、震源が浅く強い有感地震が図1 自然災害による死者・行方不明者数 平成29年3月1日現在(人)2200020000180001600014000120001000080006000400020000(年)741-2 我が国で発生した過去の大規模自然災害

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