防災ノート_311を忘れない_高等学校
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1月20日(金)1月21日(土)1月22日(日)1月23日(月)9時避難者約1,000人正午頃自衛隊から最初の給水車到着。1日2回来るが、近隣住民に知らせる方法なし1年生男子児童1名の死亡確認(父母とともに)犠牲児童3名となる。勤務職員 32名宿直 2名3時○大型トラックにより医薬品ほか、多種多様の救援物資が届く。11時○校務運営委員会を開く。○校区を3分割して生徒の安否情報の○午後、救援の発電機が届く。 電灯程度の利用が可能となる。21時30分○避難者名簿を作成し、避難所本部テ収集に回る。ントに掲示した。勤務職員 13名宿直 2名○電気が復旧する。○緊急放送設備が使用可能となる。○避難者の中からボランティアを募り、トイレ掃除をする。○プールの水をトイレ用にくむ。○深夜にも救援物資が到着○電話が3回線に増設される。○避難者名簿の作成に着手勤務職員 38名宿直 10名9時避難者約1,000人21時避難者876人○遺体安置、手当、物資補給など、対応に追われる。遺体が順次出棺する。勤務職員 22名宿直 2名9時30分職員会議○仕事内容を基にした組織作りが進○校区を回って生徒の安否情報の収集○避難者用の電話3台設置○公共下水道復旧○仮設トイレ2基設置17時30分避難者自治組織発足。「避難市民のきまり」を作る。勤務職員 13名宿直 3名む。○区役所職員の常駐化始まる。○校務運営委員会を開く。○救援物資の情報など、対策本部から○同窓会館にて、避難者の総会を行う。○自治組織が発足する。○仮設トイレ16基が搬入される。勤務職員 33名宿直 10名の情報がようやく的確に届く。9時避難者804人昼過ぎNTT仮設電話20台設置。大垣市給水車応援到着○23日までの安置遺体全ての出棺のめどが立つ。15時30分体育館へ畳200枚入る。18時~20時頃○市担当者による応急仮設住宅申し込み説明会(食堂で、校長・教頭立ち会い)21時頃避難者616人10時50分○翌日登校するよう校区を巡回して連絡、掲示11時○電気が復旧する。16時30分○避難者用に自衛隊のテント6張り設○ボランティアによる炊き出し開始○降雨のため、グラウンドではテントの数が更に増す。勤務職員 11名宿直 3名○避難者名簿のパソコン入力を始める。○自治組織の班長ミーティングが毎朝・夕に定例化する。○避難者名簿により来所者、電話の安否確認作業がスムーズに行えるようになる。○仮設トイレが搬入される。勤務職員 19名宿直 14名営9時避難者648人10時出勤職員で打ち合わせ10時30分すべての遺体を出棺する(延べ17遺体のうち最後の6遺体)。11時20分毛布100枚入る(1人2枚として不足分)。21時避難者855人(余震で増加)○明日より毎晩19時から班長会議を開「A小学校ファミリー」と教頭が板書勤務職員 32名宿直 3名催することに決定(会議室)11時○近隣の公園で、臨時全校集会(生徒○この日より、市内ほか中学校から応援142人)教諭の来校始まる。勤務職員 21名宿直 2名11時○職員会議を開く。生徒、職員の安否を○1月25日を第1回生徒登校日と決定○避難者への救援物資の配布に職員○自治組織のミーティング 職員が指揮を執り実施される。勤務職員 49名宿直 15名把握する。が終日当たる。平成7年1月17日午前5時46分、最大震度7の地震が兵庫県南部を襲った。阪神・淡路大震災である。人々は避難所となった学校でどのような1週間を過ごしたのだろうか。97

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