[参考] 激しい揺れは間もなく止んだが日に何十度も余震があった。だんだん間遠になり、三か月ばかり続いた。 地水火風のうち、水と火と風は常に害をなすが地震は多くはない。昔、地震で東大寺の大仏の頭が落ちたが、今回ほどではなかったという。 人々は仕方のないことだと慰め合って憂さを晴らしたが、歳月が経つとそうした話をする人もいなくなった。 鴨長明は『方丈記』の前半で大火、竜巻、飢饉、大地震という四つの自然災害について記している。それらは一一七七年~一一八五年、長明が二十二~三十歳の間に立て続けに起こったものだった。 長明が地震に遭遇したのは元暦二(一一八五)年七月九日であった。被害は京都、滋賀、奈良一帯に及び、多数の死者が出た。大きな寺院が倒壊し、宇治橋も落ちた。三か月ほど前には栄華を極めた平氏が壇ノ浦の合戦に敗れて滅亡しており、世の中は騒然としていたことだろう。 地震発生時に起きた山の崩落、津波、建物が倒壊して舞い上がる塵や灰、家が壊れる雷鳴のような音、続く余震の恐怖など、リアルな描写は地震の恐ろしさはいつの時代も同じだということを実感させる。 長明が隠いん遁して『方丈記』を完成させたのは五十七歳頃だが、同時代に地震を経験した人たちももはや昔を語らなくなった。最後の一節は、人は歴史や過去に学ぶべきだというメッセージとも読み取れるのではないだろうか。んと挿絵は元暦京都地震の様子(西尾市岩瀬文庫蔵) 鴨長明は、安あんげん元の大火(1177年)、治じしょう承の竜巻(1180年)、養ようわ和の飢饉(1181~82年)、元暦の地震(1185年)など、度重なる災害を体験して『方丈記』を執筆した。中でも「恐れのなかに恐るべかりけるはただ地震」とあるように、地震では恐ろしい思いをしたらしい。水、火、風の害は珍しくないが、大地震は初めてで、長く続く余震にも悩まされた。「かつても大地震はあったが、時が経てば人は忘れる」という鴨長明の嘆きは現代にも通じるのではないか。84
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