防災ノート_311を忘れない_高等学校
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建物被害は住家被害(全壊、半壊、一部破損、床上浸水、床下浸水)及び非住家被害(公共建物、その他)を合算したもの。発生とともに発生した大規模な地盤沈下のため、推計561km2が浸水した。また、津波に襲われた福島第一原子力発電所では原子炉や使用済み燃料プールの冷却機能が失われ、重大な事故に至った。●関東大震災と東日本大震災との比較 関東大震災は、日本列島の下にフィリピン海プレートが潜り込む相模湾の直下で、東日本大震災は宮城県沖の太平洋プレートと北米プレートの境界で発生した。どちらも海溝型の巨大地震で、大きな余震を伴った。 関東大震災は、相模湾直下の断層がずれ動いて午前11時58分の本震から5分足らずの間に大きな揺れが2度(M7.2、7.3)起きた。東日本大震災では本震後の午後3時8分に三陸沖のM7.4、同15分に茨城県沖のM7.7の余震が続き、午後3時18分に岩手県大船 日本の自然災害史上最大の人的被害をもたらした関東大震災と、その88年後に発生した東日本大震災を比較してみる。●関東大震災とは 大正12年9月1日午前11時58分に発生した関東地震による地震災害で、被害は東京を中心に、神奈川県の三浦半島、千葉県の房総半島全域など南関東一帯に及んだ。震源地は、相模湾の海底で深さは約15km、M7.9と推定されている。 東京では、隅田川の東側(現在の墨田区や江東区一帯)が最も激しく揺れた。しかし、地震発生がちょうど昼食の時間帯で火の使用頻度が高く、倒壊した家屋から相次いで出火、更に能登半島付近にあった台風から強風が吹き込んだため、東京や横浜では広い地域に燃え広がって一気に被害が拡大した。 火災は9月3日の明け方まで続き、下町6区(日本橋区、浅草区、本所区、京橋区、神田区、深川区)では、ほとんどの市街地が焼失した。     ●東日本大震災とは 平成23年3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波が、東日本の太平洋側沿岸部を中心に甚大な被害をもたらした。震源は、牡鹿半島の東南東130km付近の三陸沖で、震源域は長さ約450km、幅約200kmに及ぶ。M9.0、地震のエネルギーは関東大震災の約45倍に当たる。 宮城県北部の震度7をはじめ、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県で震度6弱以上、東京都では震度5強が観測された。 死者行方不明者は12都道府県で2万2,000人を超え、明治以降では関東大震災に次ぐ甚大な被害となった。死者の約9割が津波によるものであった。津波の表1 関東大震災と東日本大震災の比較表震災名称関東大震災※1地震名称地震の概要被害の概要死者行方不明者建物被害※1 「平成23年版 防災白書」※2 消防庁 令和3年3月9日発表。関東地震大正12年9月1日午前11時58分、神奈川県相模湾を震源として起こったM7.9の地震神奈川県を中心に千葉県から静岡県までの広い範囲で被害が発生105,385人372,659戸大津波や地盤沈下、液状化などによって、東北と関東の広い範囲で被害が発生。また、原子力発電所の被災により原子力事故も発生22,303人1,273,585戸東日本大震災※2東北地方太平洋沖地震平成23年3月11日(金)午後2時46分、三陸沖を震源として起こったM9.0の地震『津波てんでんこ』 明治三陸地震津波以降知られるようになった「津波てんでんこ」という言い伝えは、「津波のときには親子といえども頼りにせず、一目散に走って逃げよ。」という意味である。一見非情なこの言い伝えには、家族や集落が共倒れで全滅することをなんとしても防ぎたいという生存者の気持ちが込められている。津波から生き延びる最良の方法は迅速な避難である。避難に躊ちゅう躇ちょした僅かな差で明暗が分かれる場合もある。津波から逃げる際には身一つで逃げるという覚悟が必要である。 今回の東日本大震災において、巨大地震による津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市では、この「津波てんでんこ」が効果を発揮したと報じられている。学期末の短縮授業で184人の全校児童のうち約8割が下校していた市立小学校では、山側を除くほとんどの学区が津波に襲われたが、児童が全員無事だった。釜石市では、全小中学生約2,900人の児童・生徒についてほぼ全員の無事が確認され、多くの子供たちの命が救われた。761-3 関東大震災と東日本大震災

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